震災から一週間

あっという間に一週間が経ちました。

今日は、後から振り返る時用のメモとして残します。

被災地で苦しんでいる人達に対して不謹慎なコメントや、不愉快になることもあるかもしれないので、”続きを読む”にします。

3/11(金) 地震発生日
午後3時前、11Fのオフィスで業務中に揺れを感じる。最初は、あ〜揺れてる、くらいだったけど、途中から座っていられなくなる。机の上の埴輪の置物が横倒しになり、鍵が空いていたムービングキャビネの扉が空き、机からメディアが落ちる。慌ててキャビネの鍵を閉め机の下に隠れたけど、自分のキャビネと隣のキャビネの間に挟まれそうになって、膝をついて必死で押さえた。「この揺れは、ヤバイ」と心臓がバクバク鳴った。急いで親に携帯でメール。電話はもちろん繋がらない。

オフィスの避難誘導があり、非常階段でぞろぞろ降りる。壁に亀裂が走っていた。1Fの広場に集合したが、液状化のせいか、道路から水がわき出ていた。親から「うちもおばあちゃんも大丈夫」との返信があり、とりあえず安心。数時間後にオフィス内の安全確認が取れたということで、仕事に戻ったが、エレベータが使えず、トイレも隣のビルに行かないと使えない状態だった。ビルから、乾パンや水の配給をもらう。

電車も止まっていたが23時過ぎに有楽町線が動き始めたので、池袋まで行き、そこから歩いて帰った。


3/12(土) 地震発生翌日

元々北海道へのスノボ旅行が予定されていたが、もちろん電車も動いていなかったので、キャンセル。前日の疲れ(精神的・肉体的)があったのか、ずっと布団に包まって寝ていた。起きている時は、テレビを見ていたが、流れてくる映像を見て、初めて昨日の災害が非常に大きなものであったことを認識した。

3/13(日)
自分自身の省エネということで、ずっと布団の中で休んでいた。後は、遠方の友達の無事確認をしたり、原子力発電の事故のニュースを見たり。なお、夜に緊急の社内会議があったのは、前述の日記に書いた通り。

3/14(月)
震災後、初出社。ホワイトデーのお返しを頂く。非常食として有難く頂きました。可能な限り自宅で仕事をするようなガイドが出ていたこともあり、オフィスは閑散としていたが、地震の後でフロア内は雑然としていた。うちのメンバー達は皆オフィス出社し、輪番停電対応に追われた。
ちなみに、私の居住区は停電の対象から外れていたので直接の影響は出ないけど、電車の混み具合が異常だった。。行きは、駅で入場制限してた。

3/15(火)
コンビニが全く機能していない。パン・お弁当・ご飯・カップ麺、全て売り切れていることを昨日目の当たりにしていたので、お弁当持参。

3/16(水)
早く帰れたので、スーパーに寄ったが、米や乾麺や牛乳や卵や納豆などが売り切れていた。野菜・果物・魚・肉は置いてあったけど…。地震あってからずっと暖房点けてないけど、しんどくなってきた。そして、余震が多いせいか、揺れてないのに、ふらふらする感じがする。

3/15(木)
夕方前に「夜に大規模停電の恐れが」という政府の発表あり。きっと国民へエネルギー供給の危機感を煽り、節電を促すためのパフォーマンスだろうな、と思った。だって、輪番停電を中止しているのは供給が出来ると判断したからでしょ?と捻くれた思いを持っていたけど、上司より早く帰れ指令が出たため、18時頃帰宅。ささっと家事を済ませた後、家で仕事。そして、やっぱり停電しなかったね。

3/16(金)
前日のお昼の時に「スーパーにお米が無くて、困った…」と話したら、先輩が家にあるお米を持ってきて、譲ってくれた。また別の先輩には、乾麺を配給してもらった。オフィスの暖房が止まっていて寒くてガタガタ震えていたら、ミニカイロを貸してくれた。周りのささやかな思いやりで、すごく心が温かくなりました。帰りは途中までみんなで一緒に帰宅。